Dプロジェクト上映会が終わって。
こんな気持ちになる事は2度とないと思うので、忘れないように、
なんとなく書き残しておこうと思って書きます。
始まりは3年前の3月、大学3年生の時。
お恥ずかしながらまだ6番シードさんのことも知らず、
小劇場の舞台に通い始めたくらいの時です。
最初は軽い気持ちでエキストラスタッフとしての参加でした。
警察の会議のシーンですね。
失礼ですが、楽しかったな〜くらいの感想しかなくて。その時撮ってもらった写真を見返すとヤマケンさんが死ぬほど若いです。
で、そのあとDプロジェクトとして映画を作っていこう!となるんですが、
その時に軽い気持ちでスタッフ応募しました。
クリスさんの家で説明を聞いて、さあ所属部署はどうする?って言われた時に、
知らなかったんですよね。何の部署があるのか…撮影部と照明部があることくらいで…
で、「何やりたい?」とか、「何してた?」とか言われた時に、何をトチ狂ったのか「おばあちゃんちが美容院です」の一言でメイク部に。
メインでメイクさせて頂いたのが、美樹さん率いるアタッカーズで、
顔合わせの後に衣装合わせをするので…!と言われて行ったはいいものの、
大学からやっとこ化粧をし始めたような小娘が、当然メイクのイロハなんて知るわけもなく。
ただただ目の前で手際よくヘアメイクをしていく先輩の周りをグルグル回ることしかできなくて。とても悔しかったのを覚えています。
最初は、今まで板の上と客席の距離だった役者さんが、目の前にいて、しかもその人にメイクをするなんて…顔を傷つけたらどうしよう、アイロンで火傷させたらどうしよう…痛かったらどうしよう…そんな気持ちしかありませんでした。
でも、ズブズブの素人に、持ち物から優しく教えてくださったメイク部の佐野さん、こたっきーさんのお2人がいたから、
私は今1人で素早く「失礼しまーす!」ってアタッカーズメイクが出来るようになったんだなあ、としみじみ思ってます。
さっきの打ち上げの席で、
「最初に衣装合わせした時のおどおどしてたにあちゃんを見て、2年間続くのかなあ…合わなくて辞めちゃうんじゃないかなあ…って思ってたんだよ。でもね」
って言われた時に、心配して頂いていたのが申し訳ないのと、美樹さんに褒めてもらったのとでちょっと涙が出ちゃいました。
ファンという立場から入った事実を負い目に感じていなかった、と言えば嘘になりますが、
そんなのかんけーねーよ!一緒にがんばろーぜ!って戦友として迎えてくださった6番シードの皆様、project yamakenの皆様がいたから、最後まで戦う事ができたと思います。
Dプロジェクトの撮影が始まって、2年間。
最初の1年は大学があった山梨県から。
最後の1年は就職して神奈川県から。
ほぼほぼアタッカーズの皆様がいる日はメイク部として入らせて頂きました。
アタッカーズのメイクがない日は、時には制作で、時にはスチールで…
普通じゃ有り得ない経験をさせて頂きました。
いつもキラキラと板の上で輝く方たちの、
キラキラ輝くお手伝いをする事ができました。
上映会の時には、いつも一緒にお芝居を観に行く方から、「頑張ってね」「楽しかったよ」そう言っていただけるのがとても誇りでした。
最後の上映会で、泣いている方を見た時に、
「2年間、頑張ってよかった、辞めないでよかった」って強く感じました。
お客様の声援が力になる、って本当なんだなって。ただのリップサービスじゃないんだなってこの2年間で感じました。本当だよ。
大人になって、小さな夢を叶えることもできました。
大人が夢を叶えるって、簡単なようで簡単じゃないと思うんです。
でも、それをいとも簡単に叶えさせてくれたのがDプロジェクトでした。
正直、モラトリアム絶頂期をDプロジェクトと共に歩んでいたので、
これからGWとシルバーウィーク、どうやって過ごしたらいいんだろう…と思ってます。
それくらい、生活の一部でした。
今までの短い人生の中だけど、Dプロジェクトが人生で1番頑張ったかも。
これから何が起こるかわからない毎日だけど、
きっとこの2年間が私の背骨になって支えてくれる気がします。
改めて、6番シードの皆様、project yamakenの皆様、応援してくださった皆様。
夢のような、最高の2年間を本当にありがとうございました。
次はレッドカーペットですよね、監督?